思いつくままにつらつらと

誰かに話を聞いてほしい。

 

けど、そんな人もいることなく

自分を責める。そんな人生。

 

あーつまらん毎日と、思いながらも

日々の幸せはなんとなく見つけれるが

納得がいかないわが人生。

 

親に愛されてきた人種にはわからない、よ。

君らには、私の気持ちなんて到底理解し難いよ。

 

だってこんなにも窮屈で、しんどくて、この世界に嫌気がさしているから。

 

 

本当に愛してほしい人に、愛されず

扱いもひどくて、そっけなくて

誰からも声なんてかけてもらえなくて

自分を偽って生きて。

 

話を聞いてもらえる人もいなくて

日々、淡々と生きているだけ。

 

仕事にもイマイチ熱が入らず

定時ダッシュが唯一の幸せ。

苦労なんてしたくない。

 

飲み会だって、主役になるわけでもなく

喋りかけられても面白い返しができるわけでもなく

じゃあ、私って何のために生きているのか不思議で。

 

自分に生まれたことを只々後悔するのみで。

 

 

 

ダイエット頑張ったけど、報われなくて。

 

仲間に入れてもらえるように、人と積極的にコミュニケーションをとってきたけどイマイチピンとこなくて。自分を偽ることがしんどくて。

 

 

夢を持って、今の仕事についたけど

結局先が見えなくて、何も成功してなくて。

 

 

だから、こんな自分が大っ嫌いで。

 

頑張ってるのに空回りして、報われなくて、ダサイ自分が大っ嫌いで。

 

愛されている人がうらやましいと思いながらも

私はやっぱりだめだ。

むしろ媚びてまでしたくない、と開き直っていて。

この世界は不公平だと思っていて。

 

私だってモテたかった。

人生楽しみたかった。

こうして、人生に悔いばっかり残して死んでいくの怖いなー

やだなー

 

私ってなんだ?

 

何をするために生まれてきたんだ?

 

 

 

 

他人に承認欲求を求めすぎるあまり

とある飲み会の席。

 

「私だけ仲間によれない」

「私は主人公になれない」

「私じゃなくて、やっぱりあの子みたいなのがモテるんか」

「どうせ私は、モテないですよーっと」

「私だってモテたい」

「みんなにちやほやされたい」

「この世界は不公平」

「なんで私ばっかりこんなつらいおもいせなあかんの」

「誰かに愛されたい」

「誰か私を必要として」

「こんな私じゃ無理か・・・・・」

2~3時間くらいで、感情が出まくってしんどかった。

 

 

他人に承認欲求を求めすぎるあまり

こういった飲み会や、大人数の集まりが苦手になりつつある。

 

 

あがったりさがったりの毎日です。

今、この瞬間、幸せになる。トレーニング

私が求めてきた"幸せ"

 

 

愛されること。

すごいね、っていってもらえること。

人から認められること。

必要とされること。

 

それは、いつか、きっと、

手に入るものと信じてそのために毎旬頑張ってきた。耐えてきた。

 

 

 

けど、ふと今この瞬間に意識を向ければ

 

美味しい手作りの朝ごはんが食べれたこと。

家族の笑顔で朝行ってきますができたこと。

彼氏といってきますLINEが毎朝できること。

今日も、安全に電車に乗れたこと。

霞んだ、冬の空を眺めれること。

今日も平和に過ごせてること。

 

 

自分の頭の中で、毎旬、毎旬幸せな思考の選択をしてあげること。

 

 

これが、どれだけ幸せなことだろうと

今更気づいた。

 

 

今日も仕事で怒られるかも

今日も役に立てないかもと

思いながら

いつも仕事行きたくねぇーと思ってたこの30分間通の時間が、今ほわわんとしてる。

 

濁っていた、霞んで色もついてなかったこの通勤時間が幸せにあふれていたことに気づいた。

 

 

私の世界に、ありがとう。

 

 

は〜さむ〜

罪悪感だらけ

罪悪感を怒りに変える。

→第一私〇〇やりたくねん。

 

怒りを人や世界のせいにする。

→第一なんで私だけがこんな思いをせなあかんねん。〇〇ちゃんは裕福やのに。

 

そうすると、願いがでてくる。

→〇〇してほしい。

→〇〇なりたい

→〇〇したい。

 

 

 

この繰り返しを、

最近四六時中やってるとさ

 

 

あー私、昔こんな願いあったなぁ

とか奥深くに隠れて、蓋をされていた願いが

でてくるわけよ。

 

そしてすっきりするわけよ。

 

 

 

そして、以外と罪悪感だらけで。

 

 

 

私だけこんな楽したらあかんな。

おばあちゃんに申し訳ない。

おかんに申し訳ない、とさ。

 

ゆっくりすることも、贅沢することも一人でしたらあかんな、と。

私の存在自体に否定して

 

存在してるからには助けないと

 

役に立たないと、と。

私も苦労せなあかんな、とおもってきたわけ。

 

 

 

そりゃー世界が窮屈なワケだ!

 

 

伸び代があるね(°▽°)

今を生きる

今カフェにきてて、会話を楽しむ親子が後ろに座った。

 

 

なんか自分の耳に入ってきてて、知り合いでもなんでもないのに、無視したいのに、ずっと耳に入ってくる。

 

楽しそうやなと思う。

ずっと憧れてきた。

お母さんとそうやって冗談言って、でも一番の味方でいてほしかった。

些細なことも聞いてくれてアドバイスくれて

信用できる母親に憧れていた。

なんでも話せる友達のようなお母さんが欲しかった。

 

一番、信頼できる人。

絶対的、信頼感。

 

 

おかんにいろんな話を聞いて欲しかったなぁ。

でも母子家庭やから

長女やから

貧乏やから

自分を納得させてきた。

そんな家庭環境に産まれた自分や世界を恨んだ。

 

ただただ愛して欲しかった、守ってほしかった、楽しみたかっただけやのに。

 

 

いつしか、その思いが膨らみに膨らみ

自分を責めるようになった。

 

 

今、耳を使って情報を取り入れ

口を使って吐き出したい。

 

五感を使って“今”を生きたい。

 

 

一生懸命、自分を生きたい。

"惨め”は”宝物”

過去をさかのぼれば、自分を

惨め

恥ずかしい

と思ってきた。

だから、こんな人生で私は可哀想だし、ツイテない。

生まれてくる場所間違えた。と何回も何回も何百回もこの人生できっと思った。

 

だから、そんな惨めで恥ずかしい自分を早く脱したくて、そんなイメージを脱色したくて頑張ってきた。

色んな事頑張った。今思えばその活力・エネルギーは若さなのか。すごかった。

 

ダイエット

資格を取るための勉強

 

そのために何百万の借金さえも惜しくなかった。

 

借金として、今現在も手元に残っているけれど

その惨めで恥ずかしい自分からおさらばできる保証が

あると思っていた未来。

 

現在は?

 

まだ惨めで恥ずかしい自分のままで。

 

だから、苦しくて。

 

 

 

でも、不思議とその借金に対しては、恥ずかしいとも惨めとも思えなくて。

 

そこには頑張った証があるから?

 

 

でも、そんな惨めな気持ちこそ宝物だよ。

と教えてくれた人がいた。

 

ガーンと頭を打たれた気分だった。

私、今まで真逆のことしてたわ。

 

自分を愛するをテーマに3~4年頑張ってきたけど

その3~4年で一番忘れていたこと。

むしろ見たくなくて、蔑ろにしてたこと。

ドロドロの見たくないもの。

 

そんな私が宝物だなんて?

 

 

 

 

それが分かった瞬間泣けた。

嬉しかった。

やっと私が私を見つけた感じ。

 

ずっとそんな自分が怖くて、見て見ぬふりどころか

バケツにふたをして

そのバケツを紐で縛って

さらにロックして

上からバスタオルをかえて

ゴミ袋で何重にも縛って

押し入れの奥の方に入れていた私。

 

 

 

親に愛されなかった私

お金持ちじゃなかった私

おもしろくなかった私

もてなかった私

振られた私

捨てられた私

おかんを笑顔にできなかった私

必要とされなかった私

何も取り柄がなかった私

冷たい態度をとられた私

叱られた私

1位になれなかった私

人気者になれなかった私

なめられた私

を一日でも早く卒業したくて、頑張ってきた私。

 

 

 

でも、そのエネルギーがあったから私は今まで頑張ってこれた。

 

 

私、すごいよ。すごいじゃん。

 

小学生の頃から押し殺してきた自分の”好き“

とある尊敬する人が

「とにかく自分の好きやふぁぁあ〜とすることを大切に」

と言っていた。

 

自分を愛せ

自分を大切に

ワクワクすることを

好きを仕事に

ありのままの自分で

 

とか、自己愛を全面的に推すブームが来ている風にも感じるけど

 

私の場合、小学校高学年からこの世界で生きにくさを感じていた身にとっては、どれも聞き飽きた言葉で。

聞き飽きたというか人生を変えたくて実践してみたけどうまくいかなかった。というのが正解か。

 

 

自分が大っ嫌いで憎くて、こんな世界が大っ嫌いでクソみたいな世界で。

 

自分の好きが分からない私にとってはスタート地点にも立てていなかった。

 

よく考えれば、思春期の頃からハマるものもなかったし

あの先輩かっこい〜とか

あの俳優イケメン〜とか全くなくて

現実的というか子供らしくないというか

夢とか大きな希望もなくて

 

自分が口を開けば誰かが怒って、誰かが傷ついて、そんな自分や周りが大っ嫌いで。

 

そんな自分の環境が大っ嫌いだった。

 

だから、私が好きになるものは人と被らないようにしよう。

と、小学生なりに決めた私は

当時、モーニング娘。が大流行で、加護ちゃんかわい〜やぐちかわい〜ごまきかわい〜

と思っていたけど

かぶると友達と揉めるから「私は、辻ちゃんが好き」「市井紗耶香が好き」と

わけわからない理由をつけて好きになった記憶がいまでもある。

確かに辻ちゃんもかわいかったけど、加護ちゃんが本当は好きだった私。

 

私の意見は、二の次。

友達に仲間はずれにされるのが怖いから。

仲間はずれにされるとお母さんが悲しむから。

 

そんな、チキン南蛮な過去の私すら腹が立って仕方ないけど

そうするしかなかった私を今は何も言わず抱きしめてやりたい。

 

こんな人生だったから

私以上に不幸な逸材はいないと思い込んでいた私だから

他の人より時間は倍以上かかるんだろう。

 

けど、何日、何ヶ月、何年かかっても私は私を救い出してやりたい(惚れ)